主題:神様がくださったもの、貴重に思って使いなさい

聖句:テモテ第二の手紙2章20節から23節

テモテ第二の手紙2章20節から23節

「大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っている通り、ただ争いに終るだけである。」

今日の御言葉は、「神様がくださったもの、貴重に思って使いなさい。」です。

テモテという人は、いつも使徒パウロと同行していた人です。テモテ第一の手紙と第二の手紙があります。テモテが伝えた話ですが、神様が使徒パウロを通してテモテに話されたことが書かれています。

「大きい家には金の器、銀の器、木の器もあるのではないか、大事なところに使われるものもあるし、卑しいところに使われるものもある。これと同じく、人間も同じだ。人も地球上にはたくさんいるけれど、誰でも自分を清くしたら、貴重に使われるものになるだろう。そのように聖なるものに作ったら、清くしたら、主人が使うにふさわしい、善なるところに自分を使われるようになる。使われるためには準備をすべきだ、あなたは情欲を避け、清い心で主を呼び求める人たちと共に、信仰と愛と平和を求めなさい。無知な弁論は捨てなさい。ただ争いに終わるだけだ」という教えを話してくださいました。

使徒パウロは獄にいた時、もちろん、出てきてからも書きましたが、新約聖書となる14巻を書きました。その他の弟子たちが書いたものが13巻です。新約聖書は全部で27巻ありますが、その中の14巻を使徒パウロが書きました。使徒パウロはものすごくたくさん書いた人です。イエス様がパウロを通して御言葉を書かせ、行われたことです。

今日、この御言葉を聞いて「自分は卑しいところに使われている」と思わないでください。

自分を磨いてつくったら貴重なところに使われます。

それが神様がおっしゃりたいことです。だから、みなさんも作らなければなりません。

主を使うことができなければなりません。主を使うことができなければ自分を使うことができません。

神様も使うことができなければなりません。これは、神様をこき使うという意味ではありません。

神様を使うとは【神様を貴重に思って、仕えて、敬って、愛して、一緒に働いて行動する】ということです。

「眠っている主を起こして主を使いなさい」とイエス様もおっしゃいました(マタイによる福音書8章23節から27節)。主を使うことができる時、自分を使うことができるようになります。主と一緒にやればできるからです。

私(総会長牧師)は昔、みなさんも同じ立場だったと思いますが、若い日々は過ぎていくし、やることはないし、何をすればよいのか分からなくて、人生を嘆きました。

「何をすればいいのか、気が狂いそうだ、日は昇って沈んでいくし、やるべきことはできないし。たきぎを拾ってきて、ご飯を作って、食べて生きること、そのことがすべてなのか。」「牛だって頼れるところがある時に、痒いところを掻くことができる。」

そういう言葉もありますが、いったい何をすればいいのか。どこに頼ればいいのか分かりませんでした。人生の日はどんどん暮れていく、日が昇って、沈んでいく。地球は回り、時間は過ぎていく。それで、人生を嘆きました。

神様はこの箇所を読むように感動を与えてくださりました。貴重に作ったら貴重に使うということです。この世の中には、いろんな人が住んでいる。貴重な食器にしたら貴重なところに使われるように、自分をつくれば貴重に使われる。使徒パウロがテモテに言ったような、この言葉通りにいろんな面で自分を磨いてつくらなければならないということです。

15歳の時から本格的に修練、修道生活をして20年間学びました。それで、学んだら神様が貴重に使ってくださるようになりました。

みなさんも、どんどん自分をつくってください。今も神様に使われていますが、もっと使われるためには、無限に自分を作らなければなりません。今までやったことはもう過去の生です。

新しいものを見つけて更に自分をつくって磨いたら、また使います。無限に人々は求めています。だから、つくれば無限に尊いところに使われるようになります。

しかし、作っているうちに時間が過ぎて、人生が終わってしまうのではないか?と思うでしょう?それは、とにかく作ってからから考えるべきです。人間の黄金期が40年だとしましょう。そのうちの30年かかったとしても、まず学ぶところに30年かけて、残りの10年使われたほうがいいです。そうした時に10年使われたとしても、貴重に100年を使われたことと同時くらいの価値があるのです。

主キリスト、メシヤと言ったら、「ものすごい人」というふうに考えるかもしれませんが、同じ人間の中から選んで、神様が御言葉を与えて使う人です。同じ人間です。その人は神様の御言葉を中心にして生きた人です。

魅力的な人はどういう人かというと「偉い、高いところにいる人が平凡に、普通に生きることが魅力だ」と思いませんか。イエス様は救い主、メシヤ、キリストです。しかし、素朴にみんなと一緒に食べて話し合って、一緒に会ってあげ、交わりました。それがものすごい魅力です。神様の権威を表すために、むしろご自身は低くされたのです。

誰でも近くすることができるように、そのように使われました。このような魅力的な主を、私たちは、貴重に思って近く接し、いつも相談しながら一緒に生きなければなりません。

最後に、一言箴言を伝えます。

『人生はつくり方次第だ。使うことだ。それから、管理だ。』

人生は、自分をどう作るかにかかっています。学び、知るべきことを知って、自分を磨き作るところに注力することです。そして作っておいてから存分に使うことです。

また使い続けると機械も故障するように、私たちの体も健康が崩れることがあるから、自己管理をしっかりすることです。

そのようにして、神様が下さった貴重な体を、貴重に思って作り、使っていくことを願います。

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