牧師って
どんなことをしているの?
どんな人達なの?
日本人にはあまり馴染みのない職業だけに
少しでも馴染んでいただこうとブログを書いています。
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皆さん、こんにちは。
先週、熱海で土砂崩れがおきましたが、
ニュースはご覧になられたでしょうか?
犠牲になられている方々もいらっしゃる状況、、、
とても心の痛い話です。
ご遺族の方々に心よりご冥福を申し上げます。
今週、来週にかけて、雨が続くとのことで、
大雨による様々な災害には、十分注意する1週間になりそうですね。
私達が生活をしていると、いつこのような災いに遭遇することになるか・・・明日は我が身かもしれません。
今日は、突然の事故や災害、人生の様々な問題に対して
「備えること」について話したいと思います。
聖書の中には、過去、歴史上で実際に起きた様々な事件が記録されています。
その中でも繰り返し語られる話の1つが、備えることができずに大きな禍に巻き込まれたというものです。
その中でもとりわけ代表的なものが
2000年前、ユダヤ教徒がイエス様を迫害して殺してしまったことです。
ユダヤ教徒たちはメシアの降臨を待ち望んでいた人たちであるにも関わらず、実際、イエス様が来られたときには、メシアとして認めることができずに、迫害し、自らの手で救いを失ってしまいました。
その結果、ユダヤ民族の長年に渡る迫害と苦難を招くことになってしまったのです。
どうしてそんなことになったのか?
まさにメシアを迎えるための備えを怠っていたからです。
マタイによる福音書24章には、
メシアの降臨について、以下のような内容が書かれています。
人々は、自分の生活に溺れ、
自己中心的な生き方に溺れて生きている。
その時、メシアが盗人のようにやってくる。
だから目を覚ましていなさい。
その時は、神様だがご存知なのだから。
とあります。
盗人のように来ると表現されているのは、
ひっそりと来る、いつの間にか来る、という意味ですが、
眠っている人には、そのようにひっそりと来る、という意味で、
目を覚ましている人には、盗人のように来ることではありません。
準備していないから、問題になると言っているのです。
実際、当時のユダヤ教徒たちは、形式的な信仰生活をしており、
神様の願う生き方から離れて、自分勝手な考えで信仰生活を送るようになっていたのです。
すでに聖書の中には、準備を怠って失敗した話が何度も描かれて来たのにも関わらず、賢く準備できなかったのです。
過去起きたことは、また再びあるだろう、自分にも起こり得ることだろうと、予想して備えることが知恵者のすることですが、
彼らは、愚かにも、自分勝手に生きる人達になっていたのです。
事前に準備をすることで多くの災いを免れることはできます。
そして、いつそのような災いが来るのか、
タイミングとして到底予想できない時もあるからこそ、
平素の備えが必要です。
いついかなる時にそうなるとしても良いようにするためには、
自分のするべき仕事に忠実であること、
初めから最後まで勤勉であること、
そして、未来に対する予想です。
過去を教訓として、そこから未来も予想してみれば、
このままでは、こうなっていくだろうな、
今のうちにこのようにしておかないと将来大変だろうなという問題が必ず見つかります。
問題になってからでは遅いので、
気づいた時に早速準備に取り掛かりましょう。
気づいた時が機会です。
大きな問題への対処ほど、早め早めの対処と、平素からの取り組みがとても大切になります。
以上、備えあれば憂い無し について でした。