主題:目的を成した生を生きなさい
聖句 箴言13:12
望み、願いは言い換えると目的ともいえます。
目的は、何かを願うところから生じているものではないでしょうか。
私たちは人生を生きながら、目的が成されることを切実に願います。
反対に、目的がない人生は、希望がない人生ともいえるのではないでしょうか。
最近、若い人たちを見ると、あまり望みがありません。はっきりとした目的をもって生きている人がだんだんと減ってきたように見えます。
何を願っているのかと聞くと、いい暮らしをして生きること。好きな車を買って生きること。そういう話も聞きます。
今は、昔と比べると、はるかにいいものを食べて、いいものを着て、いい暮らしをするようになりました。
しかし、その反面、人々の生きる目的、希望、願い、望みは、どんどん減ってきているように思えませんか。
目的が定まらないから、熱心に何かに打ち込み、ひたむきに目標に向かって生きることが出来ず、何となく生きている感じがする人もいるのかもしれません。
人々は、物質的には満たされているのに、なぜ心が満たされないのでしょうか。それは、生きる目的が分からないからではないでしょうか。この世に生を受けたからには、生きる目的があるはずです。
何をするにも、目的をもって行うように、神様にも天地万物と人間を創造した目的があります。
なぜ、神様は私達人間を創造なさったのでしょうか。天地万物を創造なさったのでしょうか。それは、霊魂の救いと、【永遠な愛】のためなのです。
神様は、私達人間を愛するから創造し、私達も神様を愛して共に愛し合って生きるために創造されたのです。天地万物も、神様が私達人間を愛するから創造なさいました。だから、【愛を成して生きる】ことが、人間としての究極的な生きる目的なのです。
聖書には、神様は、私達人間の霊と肉を神様に似せて創造したと書かれています。すなわち、神様は、私達人間が神のような知識、知恵を備えること、神のような人格を備えること、神霊な人となって、霊と心と体を完成させ、聖三位を愛して生きることを願われているのです。
神のような、知識、知恵、人格、神霊さを身につけるには、まずは、学ばなければなりません。
聖書を通して、また神様が遣わした救い主、キリストから学ぶことです。
キリストは、最も身分の低いところから出現し、人間の悩み、苦痛を理解し、神の存在をこの世に現した人物です。
誰よりも全人類のために切実に祈り、この世の悪しきものを退け、平和を成すために現れました。
その方の力は、全世界を愛と平和で覆う力となり、私たちに生きる目的をはっきりと悟らせ、私たちに活力、生きる力を与えます。
神様が天地万物、人間を創造した目的通りに生きること。
これが、人間の生きる究極的な目的であり、愛が深まれば深まるほど、人生を生きる意味が深く悟られ、希望に満ちた甲斐のある人生を送ることが出来るでしょう。