主題:度が過ぎるほど行うな
聖句:伝道の書7章16~17
今日の聖句が引用された「伝道の書」は、「どのように生きるべきか、神様の教えを教え、伝える」本です。15節から読んでみましょう。
『7:15わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。 7:16あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。 7:17悪に過ぎてはならない。また愚かであってはならない。あなたはどうして、自分の時のこないのに、死んでよかろうか。』
善いことも、悪いことも、度が過ぎるほど行うとかえって害になり、自らを滅ぼしてしまうことさえある、という教訓の御言葉です。
私たちの生活を振り返ってみると、このようなことが様々にあるのではないでしょうか。
例えば、蚊を退治しようとして、度が過ぎるほど殺虫剤を撒いたら、身体にまで悪影響を及ぼし、部屋にいられなくなります。
それから、車を運転する時を考えてみましょう。急ぐあまり、気が付かないうちに法定速度を超えて時速100キロ、110キロ、120キロと加速してしまっていることがありませんか。そのうち事故を起こしてしまい、かえってもっと大きな損害を被るようなこともあります。
また、ある人は、相手のためだと言って、その人を度が過ぎるほど注意し、罰則を与えるうちに次第にエスカレートして、かえってその人に害を与え、その害が自分にまで降りかかってきてしまうようなこともあります。
このように、「度が過ぎた叱りつけ、度が過ぎた言葉、度が過ぎた運動、度が過ぎた行為」等によって損を被る、または不覚にも他人にまで損を被らせるというようなことが日常生活の中には数多くあります
一方、何かをたくさんやればやるほどミスを犯しやすくなり、損をするかもしれないと思い込み、過度に心理的に委縮して、「行なうべきこと」も行なわなければ、むしろ損になる、というようなこともあるかもしれません。
<度が過ぎる>という言葉を別の言葉で言い換えると「線を越えている」ともいえます。
神様を信じ、その教え(御言葉)を守って信仰生活をしながらも、超えてはいけない神様の法の線を越える人がいます。そのような人たちは、自分が中心にしていること、その一つだけを考えて行なっているうちに、線を越えてしまうことが多いように見えます。
この世のすべてのものには限界があり、限界線を越えると存在することが出来ないように、私たちのすべての行いも、度が過ぎるとむしろ法を犯すようになり、それによって他者に害を与えたり、自らも害を受けたりもし、また、生かすべきものを結局は生かすことが出来なくなるようなこともあります。
歴史を遡ってみると、ある時代の宗教家たちは、神様を信じ、仕えて生きていると言いながらも、神様の愛する御子イエス様を度が過ぎるほど悪評し、排斥して、むしろ神様に対抗することをしました。その結果、待ち望んでいた「救い」を得るどころか、彼ら自らが、救いの手を差し伸べてくださる愛の神様を、かえって悲しみのどん底に突き落としました。その出来事は、人間が神様に背いた数々の事の中でも、度が過ぎた最たる行ないだったとも言えるのではないでしょうか。
神様のことを知らない人々は、神様は非情で、恐ろしい神様だと考えたりもしますが、実際に、神様にも心があり、感情もあります。
人間の度が過ぎた行いによって、神様も辛い思いをされるのです。人間が神様を信じてくれず、背信し、度が過ぎた悪しき行いをして、結局、裏切って離れていく姿を何度も見て、心を痛められてこられました。
それでも神様は、私たち人間をあまりにも愛するから、人間が悪事を繰り返しても耐え忍び、そして希望をもって地上に御子を送ってくださったのです(ヨハネ3:16)その御子をも人々が殺してしまう姿を見て、あまりにも心を痛めましたが、御子イエス様の許しの祈りを聞いて、神様は極限に至るほどの憤りと悲しみに耐えて、再び御子を送ると約束してくださったのです。
歴史は絶えず進行しています。この地球上で歴史を成す主人公は、私たち人間です。だから、神様は、私たちがどんなに度が過ぎた行いをしても、私たちを許し、生かさなければ、ご自身のご計画をこの地上で成すことが出来ません。すなわち、神様はどんなことがあっても、私たちをお許しになるしかありません。言い換えると、私たちは神様の許しゆえに、救われて生かされているのです。
もしも、度を超えて何か間違ったことをしてしまった時は、すぐにその行いを見直し、そこから引き返して、悔い改め、正常な行いをしなければなりません。
私たちが、過ちに気付き、悔い改める時、神様は、寛大な心で許しという最高のプレゼントを下さります。神様の愛はあまりにも大きく、その許しはあまりにも寛大であり、無限です。
私たちは、神様の寛大さと、無限の愛を知らなければなりません。それは、人間には想像出来ないほど深くて大きいものです。いつも神様の教え、御言葉を聴き、自分の度が過ぎた考えや行いに気付いたら、すぐに悔い改めなければなりません。そして、私たちの過ちを許し、やり直す機会をくださる神様に一層感謝感激し、喜びと希望をもって、各自に与えられた人生を力強く生きて行かなければなりません。