田尾牧師牧師って

どんなことをしているの?

どんな人達なの?

日本人にはあまり馴染みのない職業だけに

少しでも馴染んでいただこうとブログを書いています。

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「主体性」

皆さま、こんにちは。

お元気でしょうか?

新生活に入ってバタバタされている方もいらっしゃることと思います。

そんな中で、問題が起きたり、大変なことがおきますよね。

時には気持ちがダウン気味になることもあると思います。

みなさんは、そんな時、どうやって気持ちを立て直していますか??

一時的に問題を避けてストレス解消するのも、1つの方法だと思いますが、一過性の対処療法に過ぎません。また、そのストレス解消方法が、中毒性の高いものだと、依存症になっていって、更に苦痛の連鎖から抜け出せない状態になってしまいますので、十分に気をつけないといけませんよね。

中毒性の高いもの、というのは、お酒、タバコ、麻薬、ポルノ、ギャンブル、最近では、ネット中毒、SNS中毒という人もいます。いずれも、短期間で脳に強い刺激(快楽)を与えるものです。

今日は、一時的に避ける方法ではなくて、
目の前にある問題や大変さにどのように向き合って克服するか、という話をしたいと思います。

向き合い方や乗り越え方、様々にありますが、
今日は「主体性」を持つことの大切さを話そうと思います。

まず、主体性というのは、
「何をすべきか自ら考え行動すること」です。

ちなみに、対義語は、「受動的」「思考停止」などが挙げられます。

主体性のある人は、目的、目標の設定から自ら行い、その結果に対して責任を負います

主体性がないと、大変なことがおきたとき、それを乗り越えていく精神の力が弱く、大変さを乗り越えていく喜びも感じにくいのです。

しかし、主体性があると、つまり、人は自ら考えて行う時、喜びや楽しさを感じることができるし、大変なことがあっても、その喜びで超えていくし、超えていくたびに精神も強くなるし、知恵もつくのです。

この主体性は、人間に与えられたギフトです。
神様が私達に与えてくださった大切な恩恵です。
だから、これを十分に使っていかないといけません。

皆さんは、自分の人生に主体性を持っていますか?
ただ、いわれるがままに生きていたり、
ネットなどの様々な情報に対して、自分の意見をもつことや考えることを放棄して生きていないでしょうか?

ちょっと自分は主体性が低いかなと思う人は、
日々の取り組みで、
自分の意見をもつ訓練であったり、またそれを周囲に伝えてみたり、
職場や何かのコミュニティのなかで、やりますと自ら手をあげて挑戦をしてみたり、
周囲の人に関心を払って全体を見ようとする意識をもつことで、その中で自分が何をすべきか意識してみるのはどうでしょうか?

このような取り組みをとおして
主体性を高め、人生の大変さを克服していく一助となればと思います。

また、信仰生活においても、主体性は大切です。
もしかしたら、「信仰」というものを、とにかく信じるものであって「自分で考える」ということをさせないものだと誤解される方がいるかもしれませんが、そんなことはありません。

主体性を失った信仰生活は、形式主義の信仰、愛の実感の薄い信仰になるので気をつけないといけません。

神様を信じるにしても、愛するにもしても、
本人が自らちゃんと考えて、信じる、愛することをしてこそ、
その人らしく、神様を信じ、愛することができるし、
神様もそのように個性通りに愛してくれてこそ嬉しいのです。

そして、自分で考えて行って得たものでないと、結局は自分の実にならないので、豊かな信仰にならないのです。

主体的に神様に向き合うとき、
神様は、私達の心に神様の心を注いでくださって、
勇気づけてくださり、強めてもくださるし、
更によい考えをくださいます。

真の信仰を持つ人達は、
自らやる喜びに神様の心がプラスされて生きるので
逆境に強く、どんな困難にも打ち勝ちます。

みなさんが、キリストによる信仰によって強められ
人生の大変さを喜びで乗り越えていくことを心からお祈りしています。

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