主題 : 神様の御心どおりに、主の御心どおりに生きなさい
聖句
ヨハネによる福音書 6章 38~39節
『わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。』
箴言19章21節
『人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。』
聖書には、よく【みこころ】という単語が出てきます。
【御心/みこころ】とは、神様の計画であり、神様の心だと言えます。
神様は、人間が神様を知っていても知らなくても、信じていても信じていなくても、必ず御心を成し遂げられます。神様の御心は、一人も欠かさず全人類のための御心であり、永遠です。
御心という言葉は短い単語ですが、この単語が示す範囲はものすごく広いのです。
聖書を一言で表すならば、【御心】とも言えます。神様のご計画と心を啓示する偉大な書物です。だから、聖書をよく読み、正しく解かなければなりません。
真理は、「矛盾」があってはいけないし、真理は「常識」から外れないものです。
聖書を読んでみると、二つの歴史に区分することができます。一つは、御心どおりに広げた歴史であり、もう一つは、御心どおりにちゃんと行なえないまま広げた歴史です。
聖書には、神様は、その時にちゃんと行なえなかったことは、後で再び行なうようになさり、御心のためには何としても行なう神様であることが示されています。
また、神様が遣わしたキリストは、御心の実存体と言えます。キリストを通して神様は、この地上に神様が願われる御心をお示しになります。
神様は、その深い御心を、誰にでも教えことはせず、その時代の主管圏の核心者にだけ教え、その主管圏で発展させながら、後でもっとよく分かるようにしてくださいます。
神様の御心は、大きなものから、小さなものまで広範囲に存在します。
私たちは、神様の御心どおりに生きているのか、いつも考えながら生活することが大切です。私たちが神様を知らなかった時は、自分の意向を成すこと、自分の夢を叶えることだけを目的にして生きてきました。私たち不完全な人間が、自分の意向どおりにしたことは、最初は「必ずうまく行くはずだ!」と期待して、とても喜んでやったとしても、後で、「私はどうしてこれをやったのだろう」と残念に思うことさえあります。
しかし、神様の御心どおりに行ったことは、1000年経っても素晴らしく、嬉しく、楽しく、恵みがあります。全知全能なる存在者が将来を見通して行なわれたからそうなのです。
私たちは、神様の絶対的な御心を必ず成して生きることが大切です。そして自分の個性の御心にも目的を持って生きていきましょう。
大きいことは神様がなさり、小さいことは自分が判断してやらなければなりません。
御心は、各自の次元に応じてあります。成長すれば、成長したその次元に応じた神様の御心があるということです。
使徒パウロは、神様の御心について「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである」と言いました。
(ローマ12:2)。
神様の御心の中で最も大きな御心は、神様が人間を創造なさった目的を成して生きることです。それは、肉体が生きている間は、神様を愛し、主を愛して生きることであり、
肉体が死んで、その霊魂が永遠な天国へ行ってからも、神様を永遠に愛して生きることです。
「先生、律法の中で、どの戒めが一番大切なのですか」。 イエスは言われた、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これが一番大切な、第一の戒めである。」(マタイ22:36~38)
戒めとは、教えであり、御心のことです。
神様を愛して生きること、これが神様が私たち人間に最も願われている御心なのです。