田尾牧師
牧師って

どんなことをしているの?

どんな人達なの?

日本人にはあまり馴染みのない職業だけに

少しでも馴染んでいただこうとブログを書いています。

・・・・・・・・・

今日は 8月6日 というタイトルで筆を執ることにしました。

私にとって 8月6日 は特別な日なのです。

皆様には 特別な日ってありますか??

 

今から75年前の8月6日

この日に広島に原子爆弾が投下され、多くの尊い命が犠牲となりました。

どうして 私にとって特別な日なのか、というと

私の祖父も父も原子爆弾の被爆者だからです。

つまり 私は被爆者の2世ということになります。

今日は 私の出生の背景 牧師になる上で多分に影響を与えたであろう 8月6日 について語りたいと思います。

私も広島で生まれ、幼い頃から 当時の様子をよく聞かされたものです。

 

当時、祖父は市内付近の工場で働いていておりました。

原子爆弾が投下されたその日、その工場で働いていた祖父は、気がつけば倒壊した工場の下敷きになっていました。

多くの方が働いていた工場だったようですが、たった2人だけが生き残ったそうです。

その一人が祖父でした。

爆破の威力によって 瞬間的に工場は倒壊したそうです。

祖父が生き残れたのは奇跡としか言えない状況でした。

瓦礫の下敷きになっていた祖父は、なんとか這い出すことができたそうです。

 

そして、祖父が目にしたのは 今までとは全く違う世界

建物は倒壊し、その瓦礫の上を歩く無残にも変わり果てた人々、、、

全身の皮も溶け落ち、水を求めて彷徨う人々の姿。

実家付近にあった太田川は、水を求めた人々の死体で埋め尽くされており、

その光景は見るに堪えない、、、

この世の地獄を見たそうです。

 

そして、私の父ですが、当時は赤子でした。

父は、祖母と共に疎開していた為、直接原爆の被害をうけることはありませんでしたが、

原爆投下後、祖母は子どもたちを連れて急いで広島市内に戻ったため、残留放射能による被爆をすることになります。

幸いなことに、残留放射能、原子爆弾投下後に起きた放射性降下物(いわゆる黒い雨といわれるもの)による影響をうけることもなく

父の命も守られました。

 

今、改めておもうと、祖父も父の命も守られたからこそ、今の自分が生きているし、

幼い頃から 戦争の恐ろしさ、平和の大切さ、命の尊さについて沢山学ぶ機会をいただけたことは、

牧師の道を志すようになるきっかけになっていたと思います。

(ちなみに、祖父は90歳を超える長寿でした。父は今も存命です。)

 

このように、私にとって8月6日は特別な日ですが、

皆様にも、なにかの節目に、ご自身の人生を振り返る日はありますでしょうか?

過去の経緯が現在の自分を形作るものですが、

自分だけでなく、自身の家族、先祖のことまでも考えてみること、

更に自分の国の歴史や世界の歴史までも考えてみることは

自分の人生の意義を見出し、人生の価値を高めていく上でとても大切なことだと思います。

 

ただ、どんな観点で振り返るのかによって、見えてくるものも全く違うでしょう。

<神様が私達にどのように働きかけてくださってきたのか> 聖書にはその歴史と経緯が綴られています。

自分の人生や歴史について、神様の目線で振り返ることができるようにしてくれる書物が聖書です。

私は 聖書を学ぶことで これまでになかった視点で人生を振り返ることができるようになりました。

 

聖書には、普遍的な真理があります。

牧師の役割の1つは、その真理をお伝えすることで皆様の助けになることなのです。

人生の失敗の原因の8割は 無知 によるものだと言われます。

分かって生きることがとても大きいことなのです。

 

私が聖書を学んでみて、

わかってみると、、、

神様は各自の人生に深く関わられており、

先祖の時から 前もって働きかけてくださっていることが分かるようになりました。

 

ご興味のある方は 聖書を手にとってお読みいただければ幸いです。

皆様の人生がより有意義なものになることを心からお祈り申し上げます。

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