奥村牧師皆さんこんにちは。奥村です。

7月の猛暑、8月の大雨が去り、涼しくなってきてもう秋だなあと感じる今日この頃です。

個人的には秋が一番好きな季節ですが、皆さんは秋と言えば何が思い浮かぶでしょうか?

私は秋と言えば、実りの秋(だから好きなんだと思いますが)が真っ先に思い浮かびます。

秋は様々な実が実る時期ですが、今日はぶどうの木についてお話ししたいと思います。

もう3年前になりますが、秋に大阪主愛教会の皆と一緒にぶどう狩りに行った時のことを思い出しました。
ぶどう狩りに行ったのが初めてだったのと、ぶどうの木にぶどうの実がなっているのを人生でほぼ初めて見たので、ぶどうの木とその枝からぶら下がったぶどうの実を見て、ぶどうの実はこうやって実るんだなあと感動したのを覚えています。

聖書にある有名なぶどうの木と枝のたとえ話もその時思い出し、実物を見て「なるほど~」と感じました。

どんなたとえ話かと言いますと、

『わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

ヨハネによる福音書15章1節

『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。』

ヨハネによる福音書15章5節

というお話です。

ぶどうの話はこの前後も続いていくのですが、ここでは、神様を農夫、イエス様をぶどうの木、イエス様を信じる人々を枝に譬えました

イエス様がいらっしゃったイスラエルでは、ぶどうの木をたくさん栽培していました。だからぶどうの木のたとえは誰でも理解しやすかったのです。

イエス様は、枝がぶどうの木につながっていてこそ実を結ぶと比喩で話され、これと同じく私のうちにとどまり、私の言葉のうちにとどまりなさいとおっしゃいました。

つまり、イエス様の御言葉を聞いた人たちは清くなったから、そのうちにとどまることでいっそう一体になって、信仰の実、行いの実をたくさん結びなさいという意味でおっしゃった御言葉です。

もし枝がその木から離れてしまったら枯れてしまい、実を実らせることができないように、あなたたちも私から離れては、実を実らせることができないとおっしゃいました。

イエス様はこのように身近にあるもので例えを用いて、小難しい話でも、誰でも理解できるようにやさしく教えて下さいました。

たしかにぶどうの木を見た時に、木にしっかりとつながっている枝からは実がたくさん実っていましたが、あまり実っていない枝もありました。
ぶどうの木と枝と実を見ながら、このように信仰の世界においても、イエス様とつながっていてこそ実を実らせることができるんだなあと改めて実感じました。実際に譬えられているものを見ると理解しやすいですね。
  
ぶどうの木について考えながら、私自身今年の秋はどのような実を実らせようかなと思いましたが、読書の秋にちなんで、聖書を読む実を実らせようと思います。
 
皆さんも是非様々な実のりある秋の季節をお過ごしくださいね🍇

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