田尾牧師牧師って

どんなことをしているの?

どんな人達なの?

日本人にはあまり馴染みのない職業だけに

少しでも馴染んでいただこうとブログを書いています。

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「最後に最高のものを与えてくださる神様」

みなさん、こんにちは。

教会では、週毎にその週の指針となる御言葉が伝えられて、
信者たちはその御言葉を意識しながら生活をするのですが、

今週は「最後まで耐える人は救いが得るだろう」という主題で御言葉が宣布されました。

ですので、
私も「最後まで」を意識しながら生活をしています。

ところで、
2000年前、イエス様が御言葉を伝えてくださっていた時は、とても迫害が激しくて信仰を保ち続けることがとても厳しい現実がありました。

そんな中でイエス様に従う弟子たちに、
イエス様は、最後までだ、という言葉を投げかけていらっしゃいました。

またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

マタイによる福音書10章22節

どんなに大変でも途中で諦めたら、これまで頑張ってきたものまですべて奪われてしまう、そんな現実があるからこそおっしゃっていた言葉なのですが、
辛い思いをする弟子たちを見て耐えなさいとおっしゃるイエス様がどんな思いだっただろうか、その心に思いを寄せると切なくなります。

イエス様は苦難の後には栄光が待っていることを霊的な世界まで見通しておっしゃっていましたが、実際問題、現実的に目の前に来る大変さ、痛み、というのは耐え難いものがあったと思います。それでもイエス様は、十字架の上で極的な苦痛をうける中でも、死ぬ間際まで、本当に最後まで、神様を愛し、人々を愛し息を引き取られました。

そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。

ルカによる福音書23:34

それでは、いったいイエス様は
何をもって、耐えうることができたのだろうか?
何をもって、最後まで行って救いを成し遂げたのだろうか?

原動力は何だったのだろうか
自身も信仰生活を送りながら何度も確認してきたことなのですが、

一言でいって、神様の心、考え、言い方を変えれば愛をうけたこと、
そして、御心を確信することが大きいと思います。

普通に生活していれば、私達はほぼ自分の肉性を中心にしていきていくものだし、自分中心の考えて生きていくものです。しかし、それでは、最後まで救いの人生を歩むことはできないと思います。

自分の考えではなく、神様の考えを持たないといけないのです。

それでは、どうすれば、神様の考えを受けることができるのでしょう?

イエス様は沢山祈る方でした。
使命をもって人々の前に現れる前も40日断食しながら祈られている様子が描かれていますし、
十字架の道を行かれるときも、切実な祈りを捧げていらっしゃいました。
イエス様は、祈ることでいつも神様の考えを受け取っていらっしゃいました。
そして、その御心を確信していらっしゃいました。

私も救いの道を歩む者として、
イエス様のように祈らなければならないと思います。
そうであってこそ、神様の考えを受けて、最後まで救いの道をいくことができると思っています。

救いの道は平坦ではありません。むしろ険しいです。
しかし、個人の人生を振り返ってみても、終わりに至るほどに神様は少しずつ祝福を増し加えてくださって、最後に最高のものを与えてくださることを確信しています。

私は、人生としてはまだまだ道半ばですが、
その過程の中で、一区切りすることはありました。
その一区切りの中の最後をみると、その区間の中で最高のものを最後にくださった神様でしたし、また、それをもって次の段階に進んでいくことを体験してきました。

私はここ最近の日本の状況を見ても、
世界的にも、今年来年はまさに一区切りするような時だなと感じています。
そこに連動して、個人も否応なしにその影響を受けるかもしれません。
つまり、個人としても、一区切りを迎える人も多いかもしれませんね。

そう思うと、今、最後までを意識して、最高のものを得られるように頑張る時ではないかと思います。

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