田尾牧師
こんにちは。田尾です。

牧師って

どんなことをしているの?

どんな人達なの?

日本人にはあまり馴染みのない職業だけに

少しでも馴染んでいただこうとブログを書いています。

・・・・・・・・・

現在、コロナ禍で、

皆様 様々にご苦労されていることと思います。

大変なことも多い時ですが、

そんな中、不幸中の幸いといいますか、

災い転じて福となすといいますか、

いいこともある(はず)

皆様には、そんな出来事はありましたでしょうか??

 

私にはありました!!(あとで紹介したいと思います。)

 

ところで、大変な状況に置かれたり、

不慮の事故にみまわれると、

つらくて 何も考えたくないし、

現実逃避したいし、

すぐには心を切り替えにくいものですよね??

 

この切替が速くできるかどうかは

人生を豊かにしていく上でとても重要なことだと思うのです。

気持ちの切り替え認識の転換

人生においてすごく大切なことだと思います。

今日の話は、そんな話題です。

 

さて、皆様にとって

この期間は

どのような期間(どんなことを考える期間)

になっていらっしゃいますか?

 

私にとっては

「命」の尊厳について考える機会になっています。

また、

助け合える人々の繋がり

とても貴重でありがたいものだと教えて頂いた機会になりました。

 

実は、先日こんなことがありました。

私の父に関することです。

前回のブログでも

私の父のことを少しだけ書かせて頂きました。

(抜粋)

「実は、私の父は10年前 脳内出血で死にかけました。

それ以来、半身麻痺を患い、

脳の認知機能低下によりもう家族を家族として認識もできなくなりました。

そして、2度目の脳内出血で倒れてからは

意識もほぼ失ってしまいました。」

2度目の脳内出血は、去年の秋ことです。

現在、介護施設で面倒をみて頂いていますが、

当時は意識不明でした。

 

退院後、家族の看病、施設の方々のケアにより

今年の1月には 奇跡的に意識を取り戻すようになりました。

しかし、言葉を話すこともできなし、全く体も動かせない。

少し、目が開いては、また閉じるという状態が続いておりました。

 

そんな中で、コロナによる緊急事態宣言により

家族の施設への訪問は禁止となり

この期間の中で、

父の状態が更に悪くなるのではないかと危惧しておりました。

 

そんな日々が続く中、

緊急事態宣言の解除により 施設訪問が可能となり

約4ヶぶりに母が面会に行くことができました。

(先週のことです・・・)

 

母が面会に行ってみると、

なんと家族の予想とは大きく異なり

父の目はしっかり開いて、

ちゃんと意識がある状態に回復していたのです。

 

この回復については、

リハビリをしてくださる専門の方が奇跡的だとおっしゃっていました。

 

コロナの期間 大変な中でも

施設の方々が手厚く看病してくださっていたことを知って、

本当にありがたい気持ちでした。

そして、父を憐れみ、癒やしてくださった神様に心から感謝をしました。

父の回復は、ただでなされたものではありません。

多くの方の助けがあってなされたものです。

 

そして、神様は、

人を通して働きかけてくださる方だということを

皆様に知っていただきたいのです。

 

私は父の回復を通して、命の貴重さ尊厳について

教えていただきました。

牧師として、(一人の人間として)

もっと命の貴重さについて悟らなければいけないと感じた次第です。

 

聖書には、こんな話があります。

「さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。
するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」

<ルカによる福音書15章より>

この話は、

私達に対する神様の憐れみ、慈しみについて

イエス・キリストが説いたものです。

 

牧師というのは、この1匹の迷える羊を捜す牧者のようなものなのです。

この牧者は、1匹の羊がどれほど大切なのかを悟っていた人だと思います。

このように、牧師は

一人一人の命の貴重さと尊厳を悟り、

皆様と共に

神様の愛について分かち合って生きていく職業だと思っています。

(本当は職業というより、使命という方が正しいのですが、

馴染みやすく職業と書かせて頂きます。)

 

コロナ禍、たしかに大変なことも多いですが、

一方で、今まで気づけなかったことに気づかせて頂いたり、

大切だとは思っていはいたけど、

いつまにか見失っていた価値について、見直す、取り戻す、

もっと成長するための準備をする、

そんな期間になっているように思えるのです。

皆様にとって、この期間が幸いなものになることをお祈りしています。

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