皆さんこんにちは。今日は「祈りと対話」についてお話ししたいと思います。
「祈り」というと皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか?
昨日8月6日は、広島に原爆が投下された日でしたが、犠牲になった方々の霊魂のため、二度とこのような戦争が起こらないように、願いを込めて祈りをささげられた方もいらっしゃるかと思います。
また、就活用語で「お祈りメール」というものがあるそうで(最近知りました)、不採用、不合格通知を意味するため、就活生の皆様にとっては非常に恐ろしいイメージがあるかもしれません^^;
「祈り」について、様々なイメージがあると思いますが、私たちの教会では、「祈り」は神様と対話することだとお伝えしています。
初めて聞く方にとっては、神様と対話?どうやって?と思うかもしれません。
対話には、話す主体、そして相手となる対象、そして話す手段、の3つが必要です。
人同士の場合は、「言語」という手段で話しますが、
神様と人間はどうやって対話するかというと、「心」で対話します。
自分の心のうちにある思いを、神様に向かって打ち明けて話すことを対話の祈りと言います。
声に出しても構いませんが、心の中で語りかけるだけでもいいのです。
神様が聞いていらっしゃると思って、自分の思っていることをお伝えすることをいいます。
また「対話」というのは、一方的に伝えるのではなくて、双方向のやり取りがあるものです。
ある事柄について、それぞれの思いを話すように、
そのように対話の祈りも、実際に神様の声は聞こえないとしても、神様の思いに耳を傾けてみたりもします。
すると、自分の思いもすっきりするし、考えが整理されたり、新しいアイディアが天から降ってくるような感覚をもらったりもします。
ところで、人間の脳というのは、対話する時、非常に活発に動いているそうです。
文章やメールを読むことよりも、実際に対面して対話する時の方が、相手の表情を見ながら語調や話題を判断して話すため、さらに脳が活発に活動するそうです。
ふと、関西人の会話って、関西出身じゃない私にとっては速度も速く、反応も速すぎて、これまで(今も若干)対応しきれなかったのですが、高度なボケと突っ込みの織り成す対話技術によって、きっと脳も相当鍛えられているんだろうなと思いました笑
新型コロナの影響で、人と会う機会も減り、対話も自然と減ってしまい、それによって、脳がどんよりしてしまって、なんだか力が湧いてこないなあという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
こんな時こそ、電話やオンラインで、たわいもないことでも話したり、大笑いしたりして、また祈りの対話もして、元気に乗り越えていきたいですね!
コメント
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生粋の大阪の友達と話してる時「落ちはないの?」って言われたこと衝撃でした。大阪は普通に話してはいけないの?っと思ったこと思い出しました。誰にも言えないことも神様には話せると思いました。
本当にそうですね笑
落ちをつけるというのは、大阪に来て初めて学びますよね~
誰にも話せないことも神様にお祈りで話すと心がすっきりしますね