田尾牧師牧師って

どんなことをしているの?

どんな人達なの?

日本人にはあまり馴染みのない職業だけに

少しでも馴染んでいただこうとブログを書いています。

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「罪責感」

(意味:自分に罪過があると考え、自分を責めたくなる気持ち。)

みなさん、こんにちは!

今日は、なんか重めのタイトルです。

最近、ご自身を責める方々によく出会うので

こんなテーマで話をしようと思いました。

今、コロナ禍でもあり、

いろいろな大変なことが起きているので、

自分の脆いところがあらわになりやすい時期だと思います。

そんな時は否応なしに自身の足りなさに向き合うことが多いですよね。

 

足りなさを反省し、次に活かす、これはとても素晴らしいことですが、

足りなさから罪責感を持ち、鬱っぽくなる幸福感がない、という方が多いように思えます。

鬱っぽくなっている方々の話を聞いてみると、

足りないところは色々と思い浮かぶようなのですが、

よくできた所、頑張った所はあまり思い浮かばないようなのです。

 

できて当たり前だと考えて、よくやったことだとご自身で認められないことが多いようでした。

こうなると、頭の中にあることは、まさに罪責感だらけ。

(自分を責める場合だけでなく、誰かのせいにするケースもあります。)

 

(どちらにせよ、、、)

重苦しい気持ちで1日を過ごすことになります。そんな日々が続けば、鬱っぽくもなります。

そうなると、せっかく反省しても、もっと頑張ろうという力が湧いてこないのです。

これでは、人生はいつまでたっても良くなりませんよね。

 

人の脳というのは、

否定的なことと肯定的なことでは、

否定的なことのほうが3倍記憶に残りやすいことが分かっています。

正常な精神を保つためには、

自分の考えていることのバランスとして

否定が1に対して肯定が3以上 これを崩してはいけないとされています。

 

だから、日常に当たり前を当たり前だと思わないで、

よく頑張ったことがあったからこそ、日常の当たり前があることだと改めて考えていただいて

よくやったことだと、自身を褒めたり、よくできたことに感謝したり、

そういう前向きな考えをしていただくことはとても大切です。

(補足しておくと、今日は、罪責感が駄目だと言っているわけではありませんよ。)

 

さて、

今は、自己点検をしていく良い機会ですし、人生をもっと素敵に作る機会です。

だからこそ、まずは良いことを沢山考えていただいて、

その上で、自分の足りなさを改善して頂ければ幸いです。

 

人間は時に弱く脆い、だから、人生の中で沢山の過ちを犯すものです。

そんな時、罪の重荷をひとりでかかえず、信頼できる方に打ち明けるのもいいですね。

 

私のような信仰者は、問題があれば、神様に祈りで打ち明け、

罪の重荷を共に背負ってくださるキリストに打ち明けます。

そして、聖書の言葉にふれて解決の糸口を見つけていきます。

そうして、必ず問題は解かれてきました。

 

皆さんには、心から自分自身を委ねることのできる相手はいますか?

そういう相手に出会えた人は本当に幸せだと思います。

キリストは、皆さんを心から愛して裏切ることなく

解決する力もお持ちで、真に委ねることのできる方です。

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